ミュージック・マガジンの創始者
先日書いたラジオについてで少し触れたが
中村とうようについて、少し思うところがありちょっとだけ書きます。
speadfreaksbabyrocketdive.hatenablog.com
自分は世代ではないので、現役での中村とうようについては、ほとんど知らない。
そのため彼について語れることはあまりない。
自分が知っている中村とうようは、晩年はずっとミュージック・マガジンの「とうようずトーク」という連載でいろいろと世間について書いているおじいさんという印象だけで、あとは日本において世界のポップミュージックを広めた功績者ぐらいしか知らない。
とうようずトーク
中村とうよう氏は最後自殺して亡くなっているのだが
山下達郎が名前を先日のラジオで出した通り、この世代の人たちには多大に影響を与えている人なのだ。特にミュージック・マガジンが大きな役割を果たしている。
レビュー等で有名だったようだが、正直その現役時代は自分は知らないし、そのレビューはほとんど読んだことが無い。
しかし20代の頃ミュージック・マガジンを読んでいた際に、中村とうようが連載していたとうようずトークは読んでいた。
内容は前述の通り、ほぼ東京新聞やテレビから得た政権への感想や世界情勢に関しての話しが多かった。それに絡めて、少し音楽の話しが入り、自身の告知を交えた連載だったと記憶している。
とうようずトークの連載終了はなんと、彼が自宅から投身自殺したあとに編集部に届いた原稿で、ほぼ遺書となっており全文が当時のミュージック・マガジンに掲載された。掲載反対意見もあったようだ。
こともあろうに彼が生前最後に住んでいたのは、自分の地元立川市だった。
なので、このニュースよく覚えているんだよなぁ。
老後のあり方を考えされた
まぁ本人はそんな意図をしたことは無いのかもしれないが
結局、最後のとうようずトークに書かれていたことは自分の体が思うように動かなくなってきたことによる悲観、と自分は捉えている。
結局この出来事は自分にとっては、老後について考えされたことになった。
頭がはっきりしているが、体がついてこない。
こんな状態になったら、自分はどうするのだろうか。
寝たきりでベッドの上で余生を過ごす…あまり考えたくはない笑。
そうすると、中村とうようのようにまだ自分が動けるうちに…いや、たぶんそんな勇気は無い笑。だが、これからはシニア世代が若者を上回る時代を確実に生きるわけだ。
そんな現状が増え、このような事例も多くなってくるのではないだろうか。
そういった物を見て、今後自分はどう考えるのか…。
うーむ。これは答えが今出せるものではないな。